岐阜・長良川と出会って(part2)
松本栄文(日本食文化会議会長)
2022.3.15
長良川の伝統的な鮎漁は、鵜飼以外にも瀬張(せばり)網漁、夜網漁といったさまざまな漁法があり、川漁師たちが受け継いでいます。その一人が平工顕太郎(ひらくけんたろう)さん。木造和船と伝統漁法を継承し、ツーリズムやメディアを通して長良川文化を発信しています。平工さんと出会い、川漁師の生き様を垣間見て胸が躍りました。
落ち鮎を食べるモクズガニ
岐阜にはまりにはまってしまった私のところへ、知人から一箱のモクズガニが送られてきました。箱を開けるとワシャワシャと動くカニたち。川ガニ特有の香りがたまらず、すぐに蒸し上げることに。濃厚なカニ味噌がたっぷりと詰まり、甲羅には脂がじわりと染み出ている。こんなに味の濃いモクズガニを初めて知りました。
あまりの感動に、送ってくださった知人に感謝を伝え、このモクズガニを獲ってくれた川漁師の平工顕太郎さんをご紹介いただき、連絡をしました。すると「長良川のカニは落ち鮎をいっぱい食べているから美味しいでしょ。あぁ~気に入ってもらえてよかったぁ」と平工さん。
そんなにたくさんの落ち鮎がいるのですか?と尋ねると、「鮎がね、川にたくさん湧くのです。ぜひ長良川に来てください。秋は本当にスゴいので。それに、長良川は鵜飼以外にもたくさんの伝統漁法があるのです」
そういう話を聞くと、どうしても行きたくなってしまうのが私の性分です。
鮎と月
鮎と月。そんな切り口で鮎と向きあったことのない私にとって、大変興味深いアプローチでした。そして平工さんの「鮎が川に湧く…」という言葉がどうしても耳に残り、いよいよその風景を目の当たりするのでした。「月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月」(読み人知らず)。その心は鮎の同調性といったところでしょうか。実にスゴかった。川のいたるところで鮎の大群が湧き上がっているのです。
平工さんになぜ川漁師になったのかを聞くと、「岐阜に生まれて、岐阜で育ったら、この美しい長良川と一緒に生きていきたいじゃないですか。だって長良川が好きですからねぇ」とまっすぐな眼差しで私に語ってくれました。私は平工さんのことが一目で好きになりました。こんなにもまっすぐに「長良川が好き」といえる生き方。そして皆に長良川文化を伝えようとする姿勢。先に話をしました鵜匠のお父さんに続き、長良川漁師の生き方がカッコよく思えたのです。
10月下旬、夜空にまん丸のブルームーンが浮かんでいます。長良川漁師の口伝で「満月がでたら鮎がまわるぞ!」とあります。まわるとは天然鮎の秋の習性で、瀬張網漁の網に次から次へと押し寄せる現象のことだそうです。
秋深まるある日のこと。朝から鮎たちの群れが漁場を騒がせていました。次から次へと。その群れはどんどん集まり、澄んだ川が真っ黒に染まっていくのです。まさにいっせい産卵にむけて鮎が集い始めたのです。
産卵期を迎えると鮎たちの魚体は墨を塗ったようにまっ黒になり、腹側に朱色のラインが入ります。山々の木々と同じように季節の変化をまとうのです。産卵期は水温20℃を下回る頃に始まり16℃を境に終了します。産卵に適するのは、粒の小さな砂利質で泥の堆積のない河床。水通しがよく砂利が動くような場所です。それゆえ岐阜城を眺める長良川中流域が産卵場として最適。鮎の産卵は夜。粒径 1mm程度の沈性粘着卵を石にびっしりと産み着けます。
陽が沈み、舟からブルームーンを眺めながらドンピシャ。鮎が湧くように出てきます。「いつもこんなふうに地球のリズムにあわせて暮らしているので、川漁師は昼夜関係なく予定が立てられないのです。独特でしょ」と平工さん。「そろそろ熟鮓に仕込む鮎が欲しかったので一晩で揃えてやる!」という意気込みで舟へ乗り込んでいきました。
漁場となる長良地区は、河口から約50km地点のところであるため潮の干満は影響しません。川漁師は海漁師と違って「月」を意識する機会が少ないのですが、中秋の名月には夜が明るいことから鵜飼漁が休みになったりもします。その一方で瀬張網漁は豊漁に。どちらも鮎をターゲットにしながら、漁法が変われば視点も変わるということでしょうか。岐阜長良川が育んだ川漁師の生き様から「鮎と月」のつながりを体感する一夜でした。
(part3へ続く)
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撮影・板野賢治