定期便

岐阜・長良川と出会って(part3)

松本栄文(日本食文化会議会長)

2022.3.15

伝統的な木桶仕込みで作られる「鮎鮓」のことが知りたくて、川漁師の平工さんが通っている安藤洋一さんの元へ。鮎鮓は、鮎の塩漬け20日間を経て、本漬けで乳酸発酵させること30日間。11月上旬に仕込みが始まり、正月の御節料理で祝います。

長良川伝統の鮎鮓

パート1でお話をした長良川鵜匠の方々が暮らす鵜飼屋地区には、今も伝統の鮎鮓が受け継がれています。鮎鮓とは鮎の「馴れ鮓」または「熟鮓」のこと。塩漬けにした鮎を、たっぷりの新米ご飯で漬け込んだ、江戸前にぎり寿司の原点であり、滋賀県の鮒鮓の鮎バージョンです。鮒鮓と異なり、オス鮎はキリっとした酸味に澄みきった旨味があり、子持ちのメス鮎は卵が濃厚な深みを生みだします。オス・メスで異なる味わいを楽しめるのが鮎鮓の魅力です。

江戸時代、長良川鵜匠は徳川家御用となり、鮎鮓は江戸をはじめとする諸藩主大名や京都の公卿らへ献上されていました。当時の鮓に用いられた鮎は「鵜鮎」と定められており、それを確保するために尾張藩は鵜飼を保護し、鵜匠に数々の特権を付与してきたのです。岐阜城がそびえ建つ金華山の麓には城下町が栄え、その岐阜町には御鮓所(すしどころ)が設けられ御鮓元(すしもと)が身を清めてからつくる徹底ぶりだったといいます。鮎鮓は一度に3人の人足によって、夏季に岐阜から江戸まで5日間かけて運ばれていました。

現在も、長良川鵜匠や川漁師の間では、毎年11月上旬に鮎鮓を仕込んでいます。川漁師の平工さんは、鵜飼屋地区で伝統的な鮎鮓木桶仕込みで作られている安藤洋一さんの元へこの伝統製法を受け継ぐために何年も通っており、今回、そこに同行させてもらいました。

伝統製法というものは非効率的だの不衛生だの、時代の中でいろいろと叩かれ、日に日に姿を消しつつあります。しかし、原点となるものが0%と完全消滅すると、誰も復活させることができなくなります。もし1%でも、0.5%でも未来に残れば、それは再興できる余地があるということです。まだ若い平工さんが、こうして伝統的な長良川漁法だけでなく、木桶仕込みの鮎鮓製法を真剣に受け継ごうとしている姿に、私はさらなる感銘を受けました。

11月上旬、晩秋のオス鮎を漁獲します。その時期のオスには白子がたっぷり入っていますが、鮎鮓には不要なため、内臓と一緒に取り除き、20日間ほど塩漬けにします。その後、よい塩梅になるまで塩抜きし、よく水気を切り、秋風で漬鮎を乾かします。この乾かす工程が最も重要であり、仕上がりを左右します。

熟鮓のための鮎を、手投(ていな)網漁で捕る平工さん。どこに鮎がいるのか熟知している。

20日間ほど塩漬けにした鮎。塩抜きして乾かし、本漬けに入る。

そして、いよいよ新米を蒸かしあげた米飯と漬鮎を木桶に段々に詰め、仕込み水を加えて外気と遮断させ、重石を乗せることで嫌気状態を生みだし、約30日の本漬けが始まります。本漬けの期間、木桶の中では乳酸発酵が進み、酸性㏗が下がることで鮎の骨は柔らかくなります。この乳酸発酵は最も空気を嫌うため、もし樽中に空気が多分に存在すると乳酸ではなくアルコールが生成され、腐敗へ進んでしまいます。それゆえ、いかに空気を押し出すかが重要なポイントです。

鮎鮓の本漬け。仕込み水と重石で木桶内の空気を押し出す。

鮎から米飯へにじみ出る旨味が、この乳酸によって増幅され、比類ない旨みの三位一体が生まれるのです。木桶を冷蔵庫に入れずに軒下の冷暗所に置くのは、長良川の冷たい川風に包みながら鮎鮓を熟成させるため。昼夜の温度差が味わいに深みをもたらしてくれます。自然の力を自然のままに。これが伝統製法というものです。

熟成が進んだ12月25日頃、最後の仕上げ作業「樽返し」が行われます。重石を外し、木桶をひっくり返して仕込み水を吐き流し、三日ほど水切りをして完成させます。

この樽明けの瞬間がたまりません。すがすがしい乳酸の香り、熟した米飯の甘い香り。一口味わうと口いっぱいに広がる桶香が、鮎鮓により一層の深味を加味します。バーナーで皮目をサッと炙ると、隠れていた濃厚な旨味が香ばしさと共に姿を現し、究極な酒泥棒へ変わるのです。

できたての鮎鮓は年末年始の最高の酒肴。お世話になった人へ届けるのが習わし。

なんと罪深い美味しさでしょうか。これこそ伝統製法ならではの味わいです。樽明け後、鮎鮓が空気と接触すると約一週間しか日持ちしませんが、今では一尾一尾、真空包装にし、急速冷凍をかけて保存しています。のんべえには朗報ですね。

樽返しの12月25日早朝、長良川の鵜飼屋地区の水辺では、鵜匠が新鳥(しんとり)と呼ばれる新米の海鵜を、長良川の水に慣らしていました。普段気が付かない光景かもしれませんが、長良川に生きる川男たちの営みが、今も鵜飼屋地区に残っています。

「自然の力を自然のままに」
「岐阜に生まれて、岐阜で育ったら、この美しい長良川と一緒に生きて行きたいじゃないですか。だって長良川が好きですからねぇ」

この二つのまっすぐな言葉が、私を「大の岐阜好き」にさせてしまった最大の弓矢だったのかもしれません。
part1:「岐阜・長良川に魅せられて」はこちら) (part2:「岐阜・長良川と出会って」はこちら)

撮影・板野賢治

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