鯨を知り、鯨を食す

うすいはなこ

2024.1.12

日本人はいつごろから鯨(くじら)を食べていたのか。日本でなぜ鯨が獲れるのか。鯨をどんなふうに調理して食べてきたのか。縄文から続く日本の食文化である鯨をひも解く。

鯨食はいつからはじまったのか?

日本では縄文前期にすでに鯨を食していた痕跡が、遺跡の中に残る大量の骨から確認されている。たまたま沿岸に流れ着いた鯨を利用していたと考えられてきたが、稲原貝塚(千葉・南房総)の発掘調査では、黒曜石の石器が突き刺さったままの小型鯨類が発見されており、古代から捕鯨(小型のイルカと考えられている)をしていた可能性もでている。

原の辻遺跡(長崎・壱岐)からは、鯨の絵が描かれや土器や、弥生時代の鯨骨を素材とした骨角器(アワビおこし、ヤスのようなものなど大型のものもある)が出土。弥生時代においても、鯨は食料としてだけでなく、さまざまな部位を無駄なく利用していたのだ。

深江城崎遺跡(福岡・糸島)で発見された土器にも鯨の絵が描かれている。原の辻遺跡の土器についで国内2例目で、この鯨の絵には胴体にモリのようなものが6本刺さっている。

深江城崎遺跡より発掘された、鯨の絵が描かれた土器。高さ60cmの大きなもので、弥生時代後期の前半に祀り(祭り)で使われていたとみられる。

飛鳥時代になると一般に肉食は禁止され、魚食が推奨された。鯨は当時、魚と分類されたため、貴重なタンパク源として用いられてきた。万葉集では「勇魚(いさな)」と呼ばれ、公家達の饗宴で食されたとある。

江戸時代に開花した捕鯨集団と鯨食

1606年には和歌山・熊野の太地浦で日本最初の捕鯨専門集団「鯨組」が組織され、1675年には和田頼治が「網取り式捕鯨」を考案。千葉・安房勝山を拠点に「突取法(つきとりほう)」を導入し、57隻で編成する「突組」を立ち上げるなど、捕鯨は全国で最盛期を迎え、鯨の供給量は大幅に増加した。

江戸時代中期の書物は、捕鯨や解体の方法、道具の詳細、そして鯨に戒名をつけて埋葬する様子を伝えている。1832年に刊行された『勇魚取絵詞』の付録「鯨肉調味方」は鯨の利用完全本で、可食部を70にわけ、非食用を18部位に分類し、加工調理方法を詳細に記している。また、壮大な鯨の姿は浮世絵にもたくさん残されている。

鯨の利用完全本「鯨肉調味方」 東京海洋大学附属図書館

画:歌川国芳「七浦大漁繁昌之図」 横須賀美術館

日本でなぜ鯨が獲れるのか?

日本列島は、鯨の回遊路に囲まれている。鯨はプランクトンや小魚をおいかけて、黒潮にのって岩手三陸沖やオホーツク海の索餌海域へ北上し、栄養を蓄えて南下し繁殖する。こういった恵まれた捕鯨スポットであることが世界に知られ、世界中から鯨油を求める捕鯨船が集中した。アメリカだけでも年間100隻以上が日本近海で捕鯨し、700隻を超える米英捕鯨船が入った。欧米諸国の捕鯨の目的は、食べるためではなく、鯨油を取ることである。

1853年に来航したペリーも、日本近海で操業するアメリカの捕鯨船の燃料補給を日本で行うという思惑があった。こうした乱獲などの要因が重なり、鯨の頭数が激減し、明治初期には各地で捕鯨が廃業同然となっていく。これは世界中の海域でおきた社会問題である。

日本ではその後、明治21年に洋式捕鯨器を導入したり、捕鯨先進国であったノルウェーからグリナー砲を導入するなどして、一時衰退した捕鯨はまた少数地域で盛り返していく。戦後の食料難も、鯨肉は栄養価の高い安価な食材として食生活を支え、1962年まで国民一人あたりの食肉供給量においてトップであった。しかしながら、1982年に国際捕鯨委員会(IWC)総会で、商業捕鯨の一時停止が採択された。

日本でも鯨油を使用してきたが、あますことなく、捨てることなく全ての資源を利用し、最大限に活用する知恵をもち、100%利用することで鯨を活かしてきた。モラトリアム選択後も、日本政府の監督下で全国5カ所(和歌山県、千葉県、宮城県、北海道網走、北海道函館)で、小型鯨類の捕鯨が実施されている。年間捕獲枠については日本近海における推定資源量の約1%と設定された。

その後日本は、2017年、商業捕鯨実施などのための捕鯨科学調査が施行され、2019年7月より厳格な水質資源管理のもと、領海及び排他的経済水域内での商業捕鯨を再開した。

鯨を食す

2023年の夏の終わり、日本食文化会議会員交流会「鯨を食べる会」が、かにかとう浅草店(会員制レストラン)にて行われた。主催は同会員の小川貢一、うすいはなこ。お酒のペアリングとともに鯨料理を提供した。 料理のスタートは「鯨のお刺身」。鯨はとても血が多い肉であり、この血をふきとり調理をすると、鯨本来の味が楽しめる。にんにくおろしや生姜で楽しむのが一般的。

鯨のお刺身

「鯨のユッケ」は、塩、胡麻油、醤油などで味付けしたユッケにうずらの卵をのせたもの。見た目は牛のようにも馬のようにも見える。この食べ方が最も鯨をおいしく食べられるといってもよい。

鯨のユッケ

メインディッシュは「ローストホエール」。低温調理した鯨にローストしたにんにく、野菜を添えて。厚めに切られた鯨は、やわらかくて抵抗なく噛むことができる。低脂質なため、しっかり食べてももたれない。海を回遊しながら育った鯨は必要以上の脂を体に溜めることはしない。

ローストホエール

最後に白いご飯、お漬物と共に、「鯨汁」をいただく。鯨汁は鯨の本皮を使う。作っている途中、どんどん溶けていくのがおもしろい。良質な脂を汁と共に味わう。本皮は塩漬けにされ、保存食としても各地で食べられてきた。お雑煮の具材や郷土汁にもよく使われている。

鯨汁

この他にも鯨の料理や、鯨の食べられる部位はたくさんある。鯨を食べることは、縄文時代からつながる、外すことのできない日本の食文化である。

日本人はなぜ鯨を食べてきたのか?

鯨の大きさは村ひとつ分の民の腹を満たすものだったに違いない。その証拠に「鯨」という漢字は億や兆を超えた「京」という単位を表している。大きく、勇壮で美しい鯨を食べることは、体内にその力を取り入れ、力を享受することだったと想像する。

だがしかし、それだけでなはいと思う。鯨はおいしかったのだ。

海の魚とは違う肉質をもつこの獣は、たくさんの民に肉というおいしさの感動を与えてくれたのだと思う。干したり、塩漬けにしたりしながら、日本人はいつでも鯨が食べられるように工夫を重ね、鯨と共に生きてきたのだ。 ぜひ、おいしい鯨を食べて欲しい。

うすいはなこ(うすい はなこ)

料理人。日本料理、食文化講師。博物館設計の仕事を経て日本料理店で修業した後、独立。「H-table 料理教室」主宰。季節や行事食、食卓文化を伝えながら、地元江戸料理の研究、地域の特色ある魚食文化を残す活動をしている。著書『干物料理帖』は 2021年グルマン世界料理本大賞でグランプリ受賞

写真・板野賢治

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