岐阜・長良川に魅せられて(part1)
松本栄文(日本食文化会議会長)
2022.3.15
私は岐阜が好きすぎてしまう。
岐阜市の中心地から車を約10分走らせれば、雄大な長良川が私たちを迎えてくれます。岐阜市は自然と都市が絶妙な距離感で共存し、中世の文化が令和の時代にも受け継がれています。各界の玄人をゾクゾクさせる魅力に溢れているのです。特に長良川が育んできた川漁師文化が素晴らしく、海漁師とは全く異なる世界観があります。私と長良川を結びつけた二人の男性を通して、川と共にある生き方を紹介したいと思います。
始まりは鵜匠との出会いから
ある夏の早朝のこと。長良川沿いを歩いていると、一人のお父さんが川の水で顔を洗っていました。今日の水は冷たくないですか?と尋ねると、「午後から水嵩が増すね。魚が動くかもしれんな」と一言。これが私を長良川に惹きつけた瞬間でした。
なぜそれがわかるのかと聞けば、「そういう水の臭いがする。私はね。毎日この川の水で顔を洗っている。だから川の水がいろいろと教えてくれるんだよ」とお父さん。「あのね。人間は洪水があるたびに“災害”だという。人間社会にとっての自然界の脅威は、イコール災害だと皆が考える。あまりにも人間が暮らしやすい、または都合のいい社会をつくりすぎたね。この川にとって、洪水は自然に戻ろうとする姿なんだ。人間はもっと自然を理解して共存しなければいけないと思うね」。その言葉に私の心は完全につかまれました。
ところでお父さんは川漁師さんですか? そう尋ねると
「鵜と暮らしている」と。
もしや鵜匠さんですか?
「そうだよ」。
なんという偶然、いや必然といえるでしょうか。
「おにいさんは鵜飼ってどういう仕事かわかる?」
そう聞かれ、私は海鵜を飼いならし、首に輪をかけ、魚漁をすることですよねと答えると、
「きれいにいうとそういうことだけど、ただただ鵜の便所掃除をし続けるのが鵜匠の仕事だよ。私らはね、鵜と一緒に暮らしている。だから鵜に気持ちよく暮らしてもらわなきゃ、鵜が心を開いてくれない。嫁さんと一緒だね(笑)。鵜が心を開いてくれないと、漁に出ても、魚を獲ってきてくれないんですよ」と話してくれました。
実はこのお父さん、長年、長良川の鵜匠代表を務めていた山下純司さんだったのです。鵜飼は約1300年の歴史をもつ伝統的漁法で、その鵜匠は宮内庁式部職鵜匠として代々世襲制の9家(岐阜市長良地区6家、関市小瀬地区3家)が司っています。山下さんに鵜匠の話を伺ったのが、私と長良川の強烈な出会いでした。
山下さんが鵜の首のあたりをモジョモジョとさすると、鵜は気持ちよさそうに目を細めます。通常の鵜飼では、首に紐をかける際に指2本分の隙間をあけるそうです。お腹を空かせた鵜が川に入り、小魚は喉をすり抜け、ある程度の大きさの魚は喉もとで引っかかるという具合に。でも皇室に献上する鮎を獲るための御料(ごりょう)鵜飼では、いつもよりきつめの指1本分に。すると鵜も今日は特別だと分かるようで気合を入れる。日々の暮らしの中で、鵜との信頼関係が築かれているからこそなせることです。
鵜舟のかがり火のもとで
鵜飼漁が行われる夕暮れ、長良川に足を運ぶと、どこからともなく「ほぅ、ほぅ」という掛け声やドンドンという舟べりをたたく音が聞こえてきます。舟にかがり火が積み込まれ、日没を待って漁が始まります。かがり火は寝ている鮎の御影を映すため。灯りに驚いた鮎があわてて動き、鱗に反射した光を見つけた鵜がそれを捕まえると、鵜匠がすかさず紐をたぐりよせます。
鵜匠の手元で引き上げられた鵜は大きな羽をバサバサと動かし、捉えた魚を舟に吐き出し、また川に戻されると何事もなかったかのように漁を続けます。その生々しい音は、まさに私たち人間は生きものと共にあると実感する瞬間。私はこの音が大好きです。
川上から下ってきた6艘の鵜舟は、川幅が安定する金華山のあたりで横一列に並び、岸辺に向かって魚を追い込んで捕まえる「総がらみ」が始まります。鵜と鵜匠の息がピタリと合った漁の光景は忘れ難いもの。漁を終え、かがり火を川に沈める「ジュッ」という音が、今でもはっきりと耳奥に残っています。
涼やかな川風に吹かれ、鵜飼漁を目の当たりにして感じたのは、あの「ほぅ、ほぅ」という掛け声とともに突如として目の前に中世が現れたというタイムスリップ。鵜飼漁は1300年の歴史があり、その伝統がここに受け継がれているのです。
長良川は都市部を流れる川でありながら清流を保ち、鮎を育て、地域の食文化を支えています。鵜匠に代表される川漁師たちは伝統の漁を受け継ぎながら、川と共にある暮らしを守っているのです。このような川と人々の暮らし、漁業資源が密接に関わる里川全体のシステムが評価され、「清流長良川の鮎」は、平成27年に世界農業遺産に認定されました。
https://giahs-ayu.jp/
長良川鵜飼の話は語り尽くせないので、いずれ書籍にしたいと思っています。
(part2:「岐阜・長良川と出会って」に続く)
撮影・脇屋徳尚
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