今、ふたたび喫茶店へ
鳴海彩詠(和の衣食住スタイリスト)
2021.12.15
岐阜の喫茶店は、朝の時間帯にドリンクの値段でトーストや卵などがついてくる「モーニング」が知られています。でもそれだけではなくて、喫茶店は岐阜ならではの深い歴史があるのです。
第二の応接室、喫茶店
岐阜市内に今も少し残る純喫茶は、戦後の1950年代から60年代に多く開店し、特に岐阜駅前の繊維問屋街から柳ケ瀬近辺で発展していました。街の開発などにより、またほぼ一代限りで仕舞われていく中で、私に岐阜の喫茶店の歴史を語ってくれたのが「純喫茶 甍」の二代目のお母さんです。
店名が表す通り、大元は瓦の会社。場所がよいからと勧められて素人仕事で開店した当時は、問屋街の会社の接待場所、休憩場所として、朝は7時から夜は22時頃までフル回転だったそう。この当時は会社内で淹れたお茶を出すよりも、近くの喫茶店から出前の「珈琲」を取りお客様をもてなすことが会社としての一つのステータスになっていました。喫茶は、茶を喫する=飲むこと。また茶によってもてなされること。茶の湯文化が身近にあった岐阜だからこそ、お茶より珈琲。ここから岐阜の珈琲文化が始まったと思います。
そんな背景があるからこそ、喫茶店はより早く、味わい深くて飲みやすい、飲み飽きない珈琲を提供。そう、岐阜では普通の喫茶店の珈琲が普通以上に美味しくて、それでいて印象が深すぎない、毎日飲んでも飽きない味に徹していると感じます。焼き物(瀬戸物)の土地柄もあり、カップは店名をいれたオリジナルを使っている店も多いのです。
また内装は、ふくれ織の生地や箔の壁貼りなど当時のよい素材をふんだんに使い、特別な場所としての風格を備えています。照明もそれほど明るくはなく、中の様子がうかがい知れず、入りづらい雰囲気。高度経済成長期のもてなしと憩いの場として支えたのが喫茶店であり、今のように子供がついていくような場所ではありませんでした。
珈琲のこだわりは内装にも
70年代から80年代になると、珈琲を愛する人が開いた喫茶店や珈琲専門店が郊外にも増えていきます。岐阜はモノづくりの町でもあり、中心地を外れれば田畑が広がるところ。工房での作業や田畑仕事の一息に、喫茶店は利用されていました。今も昭和の雰囲気と味わいが漂う喫茶店の多くがこの時代に生まれました。
自家焙煎や珈琲のラインナップ、カップや食器にこだわる店や、今では庶民的に感じる軒先のビニールテント(その時代は一番のお洒落!)からはうかがい知れない、唸ってしまうほどの内装を施した喫茶店が本当に多いのです。
欅の一枚板のカウンター、職人技が光る壁装飾、さりげなく置かれた名画。店主の美意識と愛するものが詰まった空間があり、そこにはお客さんに対するサービスや愛情があふれています。常連さんのためのマイカップ棚に出合ったときには、岐阜の喫茶店の奥深さに驚きました。
バブル景気前にできた喫茶店は、「とにかくよいものを丁寧に長く」という精神がそこここにあふれており、店主の想いをくんだ店舗デザイナーの気概すら感じられます。そのこだわりが心地よい空間と珈琲の、切っても切れない仲は、この時代に作り上げられたのだと思います。
珈琲とトーストとたまご
モーニング定番のトーストとたまごにも、お店のこだわりが垣間見えます。絶妙なゆで加減の半熟卵、具材を大胆に挟んだクロワッサンサンド、店主が毎朝焼いている自家製パン。この地域の定番となっている小倉トーストも多種多様。スクランブルエッグのたまごトーストもよく見る風景です。
今日はどのモーニングにしようか、そんな気分で喫茶店を選ぶのも楽しみの一つ。実は店舗的にはモーニングは本当のサービスで、それで利が出ることはほとんどないそう。でもその地に根付いた喫茶店には、毎日通ってくる常連さんへの想いが込められていると感じます。
顔を合わせてさりげない会話を交える人とのつながりが、客も店主も一日の中のリズムの一つになっているのをどの店舗でも感じます。コロナ禍でそれが崩れ、惜しくも仕舞ったり、モーニング時間がなくなった店舗は多々あり、非常に残念な思いです。
関東や関西の喫茶店は学生も集う文化交流の要素が大きいかもしれませんが、岐阜の喫茶店は働く大人のための場。ほんの一度、バスの待ち時間の雨宿りに母と入った店はスーツ姿の大人ばかりで、微妙な居心地の悪さとクリームソーダの美味しさの記憶が鮮明です。
私も社会に出て、ようやく臆することなく行けるようになった喫茶店は、珈琲とクリームソーダと居心地のよい空間を探す場であり、岐阜の茶文化を知る旅でもあります。
岐阜にお越しの際は、大人になった自分が居心地よく一杯の珈琲を楽しめる、お気に入りの喫茶店を見つけてもらえたら嬉しいです。
■ 純喫茶 甍:岐阜市長住町6-4
■ 自家焙煎珈琲 珍竹林:岐阜市玉姓町3-27
■ コーヒー専門店ル・モンド:岐阜市殿町1-4
■ ニューパロマ:岐阜市柳ケ瀬通3-24
■ 珈琲倶楽部ドメス本店:岐阜市薮田南1-5-18
鳴海彩詠(なるみ さえ)
喫茶陶芸文化の岐阜で生まれ育ち、岐阜高専、名古屋工業大学で建築を学ぶ。建築家具設計の仕事に関わる傍ら、着物と茶の湯の造詣を深めていく。2020年に美濃和紙が生まれる地の農村民家に拠点を移す。特に落雁や干菓子を媒体として、日本の残すべき季節のこと、色やカタチ、行事などを表現し伝えている。また土地の美味しいモノを発掘し、色々な飲料とペアリングさせたその土地を味わう茶会、中国茶と抹茶が行き交う茶会など、茶の湯をベースとしつつも多種多様な茶会を開催し、現代の喫茶文化を模索している。着物スタイリスト、インテリアコーディネーター。岐阜工業高等専門学校非常勤講師。「落雁と季節の会」「和の寺子屋*榮堂」「茶彩会」主宰。著書に『着物に合わせる洋小物』(河出書房新社)、『はじめて着物を着る人のための41のステップ』(河出書房新社)がある。
撮影・鳴海彩詠(甍)、板野賢治