チョコレートケーキの季節に
並木麻輝子(料理ジャーナリスト)
2022.2.3
ヨーロッパの三大チョコレートケーキといえば、フランスの「ガトー・オペラ」(通称オペラ)、オーストリアの「ザッハトルテ」、ドイツの「シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ」。食通たちを唸らせてきたこれらのケーキにまつわるエピソードを知れば、チョコレートケーキがさらに愛おしくなる。
Gâteau Opéra
気品と重厚感を併せ持つ「ガトー・オペラ」
美食の国フランスが誇る銘菓「ガトー・オペラ」は、濃厚かつ芳醇なショコラとカフェのケーキ。構成は、コーヒーシロップをしみこませたビスキュイ・ジョコンド(アーモンドパウダー入りの生地)に、コーヒー風味のバタークリームとガナッシュを重ね、表面にチョコのグラサージュを配したもの。多層仕立てでありつつ、2〜2.5cmと薄めに仕上げるのも特徴だ。
誕生は1955年。パリの「ダロワイヨ」にて、と言われている。一説には20世紀の初めに考案された「クリシー」という菓子がもとになっているとか。それを、1955年当時のダロワイヨのオーナー、シリアック・ガビヨンが気に入り、金箔をのせるなどのマイナーチェンジを加え、華やかなケーキに昇華させて出したのが、現在の「ガトー・オペラ」だそう。
ちなみに「オペラ」という名は、パリのオペラ座(オペラ・ガルニエ)をイメージし、ガビヨン氏の妻が命名。名前の由来は、店に来るオペラ座のダンサーに敬意を表してなど諸説ある。表面に飾った金箔はオペラ座の上に立つアポロン像が手にした金の竪琴をイメージしているとか。次回パリに行ったら、ぜひそんなことも思い出しつつオペラ座を見上げてほしい。
Sachertorte
ウィーンを代表する「ザッハトルテ」
ずっしりとしたチョコ風味のスポンジ生地にアプリコットジャムを塗り、チョコレート入りの砂糖衣で全体を覆った存在感あふれるザッハトルテ。このトルテが生まれたのは1832年。時のオーストリア宰相メッテルニッヒは、厨房で働いていた見習いのフランツ・ザッハーに、自分のパーティーで出す特別なデザートを作るよう命じる。当時ザッハーは弱冠16歳。たまたまシェフが病を患って不在だったため、急遽白羽の矢が立ったそう。こうして誕生したチョコレートケーキは大いに評判を呼び、ザッハーは数々の名店でシェフを歴任。それらの店や、のちにウィーンで開業した自分の店でザッハトルテを販売し、財を成したという。
1876年には、フランツ・ザッハーの息子、エドワルドがホテル・ザッハーを創設。もちろんここのカフェでもザッハトルテを提供して人気を博し、皇后エリザベートをはじめ、多くのファンを持つ看板商品に。しかしエドワルドの息子はまったく商才がなく、両親の死後ホテルは財政難に陥り1934年に倒産。この時、援助を申し出たのがオーストリア王室御用達の老舗菓子店「デメル」。エドワルドジュニアはこの申し出を受け、資金提供の見返りとして、オリジナルザッハトルテのレシピ+製造販売権をデメルに譲渡。本人もデメルに移籍し、それ以降はデメルでザッハトルテが販売された。
ところがその数年後、ホテル・ザッハーの新しいオーナーが、「オリジナルザッハトルテ」の販売を開始したことから、双方の間に亀裂が生じて論争に。さらに門外不出のレシピが流出し、事態はさらに悪化。ついにザッハー側が商標権の取り消しと販売の差し止めを求めてデメルを提訴した。お家争いは法廷に持ちこまれ、「甘い7年戦争」と言われる長期戦の末にホテル・ザッハーのものを「オリジナルザッハトルテ」とする、という判決が下る。ただし製造および販売はデメルにも認められ、こちらは「デメルのザッハトルテ」となった。
仕上げに関しては、ホテル・ザッハーのものはスポンジの表面と間にアプリコットジャムを塗り、上には丸型のチョコのプレート、デメルではスポンジの表面のみにジャムを塗り、三角形のプレートをのせるということで一件落着した。
各国のマスコミも注目したというこの騒動が、ザッハトルテを「世界でもっとも有名なチョコレートケーキ」に押し上げたと言っても過言ではないだろう。ちなみにこのケーキ、歴史と同じぐらい深く濃厚な味わいなので、無糖の生クリームをたっぷりと添えていただくのがお約束だ。
Schwarzwälder Kirschtorte
黒い森を思わせる「シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ」
ドイツ語でシュヴァルツヴァルトは「黒い森」、キルシュは「サクランボ」の意。つまり「黒い森のサクランボのトルテ」という名のケーキだ。「トルテ」とは、このお菓子やザッハトルテのような円形のケーキのことで、6等分とか、8等分に切り分けた三角の状態でもやはりトルテという。
シュヴァルツヴァルトはドイツ南西部に位置する森林地帯の名称でもあり、南北160kmにわたって針葉樹がうっそうと生い茂る様子はまさに「黒い森」。サクランボや、キルシュヴァッサー(サクランボから作った蒸留酒)の産地としても知られ、それらのイメージを重ねて生まれたのがこのお菓子と言われている。
基本形は、ココアのスポンジにキルシュヴァッサー入りのシロップを打ち、ホイップクリームとチェリーのコンポート(シロップ煮)をはさんで、表面にも生クリームを塗り、削ったチョコを飾るというもの。この地域で採れるチェリーは、酸味がしっかりしたサワーチェリーのため生食には向かず、昔からシロップ煮やジャム、蒸留酒などに加工して使われてきた。
このトルテは、意外にも黒い森界隈ではなく、遠く離れたボン南部の町で誕生したと言われている。1927年、シュヴァルツヴァルト近郊出身の菓子職人ヨーゼフ・ケラーが、今よりも簡易な形で作りはじめた。発祥にはいくつか説があるけれど、いずれにしろ1世紀近い時を経て、今ではドイツ屈指の名物とされている。隣接するスイスやオーストリア、フランスでも作られており、オリジナルに忠実なものから、シェフのアレンジを楽しむものまで、さまざまな「黒い森」が堪能できる。
余談だが、エコ大国ドイツでは、サクランボの種も見逃さない。こちらは乾燥させて布袋に詰め、チェリーピローとして再利用。レンジで温め、湯たんぽの代用や肩こり、腰痛の湿布に、また冷蔵庫で冷やして眼精疲労の緩和や熱さましにと、自然に優しいカイロ&保冷剤として、幅広く活用されている。
並木麻輝子(なみき まきこ)
料理ジャーナリスト。ヨーロッパ郷土料理・菓子・食文化研究家。「ル・コルドン・ブルー パリ校」の製菓・料理上級課程修了(グラン・ディプロム取得)。ヨーロッパでジャーナリストの仕事をスタートし、二十数年に渡り世界各国で取材。とくにヨーロッパの食文化に精通し、専門誌をはじめ、書籍、雑誌、ガイドブックなどに幅広く執筆。大学や専門学校などで、長年「世界の食文化」や「映画と食べもの」の講座を担当するほか、ラジオ、講演、コーディネーターやアドバイザーなど、「食」にまつわるあらゆる分野で活動中。通常は取材や食関係ツアーのアテンドで年間の海外訪問地数30カ所以上。約10年前からは、カカオの研究で毎年南米、アフリカ、東南アジアなどのカカオ産地にも足を運んでいる(いずれもコロナ禍をのぞく)。著書に「フランスの郷土料理」(小学館)、『SWEETS TREND BOOK』(柴田書店)など。
撮影・並木麻輝子
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