酒肴の時間

武士の時代のお酒のあて

上杉孝久(日本酒プロデユーサー)

2021.11.5

お酒と共に楽しむものを酒肴といいます。酒の席を盛り上げる歌や踊りも肴、「人の噂話を酒の肴に」なんてこともありました。 ここでは酒のあてになる食を取り上げます。

室町時代、正式な酒礼として
「式三献」が生まれる

万葉集の山上憶良の歌に、酒粕を湯で溶いた「糟湯酒」を、塩をなめなめ寒さに震えながら飲んでいる、というものがあります。

また『徒然草』には時の執権北条時頼が部下を呼んで夜遅くに酒を呑もうと誘い、家人を起こすのも悪いと言って、台所のすみにあったかわらけ(土器の盃)に残る味噌を肴に愉快に飲んだという記述があります。昔から、手軽なお酒のあてとして、味噌や塩などが身近なものでした。

式三献には三枚の盃が用意された。古くはかわらけ。かち栗は「勝ち」に通じるため、古来、縁起物として食べられてきた。

正式な儀礼としての飲酒の場合は、「式三献」といいます。三度酒を酌み交わす間に、三つの膳が用意されます。例えば、一の膳には盃と打鮑(うちあわび)、かち栗やくらげ、はじかみ・塩・梅干など。二の膳には、鯉の刺身に、塩・酢・山葵・生姜が。三の膳には鯉の腸煎(わたいり/はらわたを味噌や塩・酒などで煎り煮したもの)が供されました。鯉は古代以来、室町時代初期頃まで「やんごとなき魚」といわれ最も尊重されていました。

織田信長が愛したといわれる酒「菩提もと 三諸杉」を銀盃で。

信長が好んだ鮒鮨と赤こんにゃく。

室町時代になると、食を重視する禅宗の広がりと共に調理法も多様になります。また、商業が活発になったことで遠隔地の素材も多く利用されるようになりました。献立には、鵠(くぐい/白鳥)・雁・雉、兎・海老・鯛・鱈。珍しいところでは、イルカや「来る来る」が並びます。「来る来る」とは、鱈のはらわた「白子」のことです。今も冬のお酒のあてに嬉しい一品です。ただし、この肴の名は1568年、室町幕府最後の将軍足利義昭の御成りの献立以降、見られなくなってしまいました。戦国時代以降、食べられなくなったのかもしれません。イルカは、さしみや汁、酢煎りにして食べていたようです。

この頃はよく汁物が酒の肴となっています。茶人の津田宗久が関白秀吉に対面した際の会の最後は「上戸は汁椀にて思い思い飲み候」となっています。この時の献立には「生鶴御汁」があり、塩漬けではなく生の鶴であることが強調されています。 トップ画面が生鶴御汁です(鶏肉を鶴に見立てて再現)。盃には鯉が立体的に描かれており、鯉も酒を飲む趣向となっています。

各地の名産品も人の口に上るようになります。近江の鮒、越後の塩引き鮭、周防の鯖、隠岐の鮑、丹後の若布。果物では、美濃柿や信濃梨などが喜ばれました。

武士の世界で盃事は、主従関係を確かめる儀礼であった。上杉家に伝わる系図には、1605年に上杉景勝が江戸の藩邸・櫻田邸で徳川秀忠をもてなした記述が残されている(写真の左から3行目)。どんな酒肴があがったのか想像がふくらむ。

 

江戸時代は世情も安定し
酒席の肴も賑やかに

例えば、金沢犀川近くの名店「つば甚」の場所にあった「十楽亭」の酒席の献立を見てみましょう。
 小ふた(玉子・河たけ・梨) 
 味噌仕立て吸物(大鮒山椒煮)
 焼物(鮎蓼酢)
 羹(あつもの/麩・つぐみ・くりたけ)
 膳向(鯛・海藻)澄まし汁・鯛の焼物
 煮物(鮑・麩・くわい・玉子とじ)
 薄茶と菓子
魚介類の豊富な金沢では、鯛が日常の献立によく登場します。

鮎の酒浸し焼きと、鮎の内臓の塩辛「うるか」。この時代、酒は燗をつけるのが礼儀だった。

もっと庶民の酒の席では、どんなものを食べていたのでしょう。幕末、今の埼玉県行田市に住んでいた下級武士の絵日記を見てみましょう。この武士は、絵心があったとみえ、近隣の人々と始終行き来して、酒宴を催す様子を生き生きと描いています。 正月の友人宅での酒宴では、雉子鳩・松茸・三つ葉の吸い物に煮魚、鶏牛蒡の煎りつけ、菜の玉子とじ、湯豆腐、稲荷寿司と大変豪華です。めったに口にすることのない雉子鳩は焼き鳥になったのでしょうか。そのうえ、道からは寿司売りの声がしたので、呼び入れ、握り寿司を買っています。

正月十日の寺での酒盛りの料理は、煎り牛蒡・煮豆・あら汁・昆布巻。普段はこのくらいの肴だったのでしょう。鍋や料理を真ん中に置き、それを囲むようにとくに膳などはなく、気軽に盃と椀を持ってくつろいだ様子です。珍しいのは、海から遠い内陸地ながら「鮫の煮つけ」が献立にあがっていることです。当時の献立の、魚貝類の種類の豊富さは驚くほどです。

江戸時代には「大酒呑み大会」が盛んに行われました。一番小さな盃で五合入り、最も大きな三升入りの盃というものまでありました。最も多く飲んだ記録では四升、女性でも五合や七合程度飲むのは平気だったといいます。その大会の際の肴は、からすみ・花塩・さざれ梅・鯉の羹などでした。

「このわた」(左)と、干し柿の中に白あんをしのばせたお菓子(右)。

上杉孝久(うえすぎ たかひさ)

旧米沢新田藩、上杉子爵家九代目当主。有限会社佐奈井代表取締役。日本食文化会議理事長。日本酒プロデューサー。1952年東京都出身。学習院大学法学部卒業後、出版業界を経て、色々なタイプの日本酒を中心とした飲食店を40年にわたり経営。現在も日本酒の新しいマーケットを広げるために、執筆活動や年間100回を超える講演・講座を行っている。著書に『日本史がおもしろくなる日本酒の話』(サンマーク文庫)、『いいね!日本酒』(WAVE出版)などがある。

今宵は、
このお酒で。

  • きもと純米無濾過原酒 神力(広島)

    戦前の酒造好適米「神力」を復活させて、しかも水車で精米していた時代と同じ85%精米で、江戸時代と同じ「きもと造り」という大変手間をかけた仕込みをしてできた純米酒です。このお酒を仕込んでいる三宅本店は広島県呉市にあり、戦前は海軍へもお酒を納品していました。このお酒と同じように「神力米」を85%精米で仕込んだお酒は戦艦大和にも積まれていました。

    お問合せ

    三宅本店HPhttps://sempuku.co.jp/TEL0823-22-1029

  • 純米 菩提もと 三諸杉(奈良)

    奈良から天理へ向かう山奥にある正暦寺(しょうりゃくじ)。このお寺で造られていたのが菩提(ぼだい)もとというお酒です。平安時代後期からお寺も酒造りの場になり、僧坊酒と呼ばれていました。特に正暦寺のお酒は評判がよく、信長にも愛されていたと言われています。その美味しさの秘密は現代と同じように精白米を使い、3回に分けて仕込む三段仕込みをしていたからです。それゆえに現代の清酒の原点があるために「日本清酒発祥の地」と言う石碑が境内に建っています。現在も1月にこの寺で「酒母」というお酒を醸すもとを仕込み、それを奈良県内の酒蔵九蔵に分け、「菩提もと」というお酒を各蔵が造っています。

    お問合せ

    今西酒造HPhttps://imanishisyuzou.com/TEL0744-42-6022

  • 純米原酒 國光 正宗(岩手)

    「國光 正宗」とは、1778年創業の「西大野商店」が江戸後期から昭和初期まで造っていたとされるお酒です。お酒の酵母がまだ残る築180年ほどの土蔵で、再び日本酒が造れるのではないかと、南部藩復興酒プロジェクトが立ち上がりました。偶然にも約65年間所在がわからなかった古文書が見つかり、中から南部杜氏の秘伝書を発見。これをもとに、酒造りを二戸市にある「南部美人」がにない、2021年秋に第一弾が完成。まだ市販には至っていませんが、秘伝書にある江戸時代の製法で仕込む貴重なお酒を飲める日が楽しみです。

    お問合せ

    晴山吉三郎商店MAILnisiono@fairyche.com

文・上杉孝久

撮影・板野賢治

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